私は約8年前の24歳の時に結婚しました。
タイミング法で授からず様々な産婦人科を転々としながら
29歳に不妊治療専門クリニックへ転院しました。
実母に不妊治療の事を打ち明けたのはちょうどその頃です。
私:「私ね、早発閉経って言われた。なかなか簡単には妊娠出来ないみたい。」
母:「ハハハハハ!!(本気笑い)・・・・・・え?(真顔)」
(ここで瞬時に笑える人なんて相当いない。さすが私の母。)
私:「早発閉経。今不妊治療に通ってて、更年期障害みたいなのもちょっと出てきてる。」
”早発閉経”だと話して、こんなに笑われるとは思いませんでした。
後に聞くと何かの冗談だと思ったらしいです。さすが私の母。
しかし1度不妊治療をしていると話してからは、
”次の通院はいつ?” ”今日病院どうだった?” といつも気にかけてくれるようになりました。
不妊治療を開始し卵子提供を決断するまでの約2年間。
何度も何度も不妊治療について母と話しましたので、
卵子提供や養子縁組、里親制度などに理解がある方なのは分かっていました。
なので「今回の自己卵子での治療が上手くいかなかったら卵子提供に進もうと思う。」
と話すと
「おかき達が決めた事に何も言うつもりはないよ。私はただその子のおばあちゃんになるだけ。ただ1つ言えることは、おかきの顔つきが変わった。ちゃんと考えて決めたんだね。」
やっぱり母はすごい。
顔つきが変わった実感はありませんでしたが、こうやって言われてみると
今まで ”いつまでこの終わりが見えない治療をするべきなのか”
治療を続けながらも悩んでいた日々が
卵子提供という可能性を自分達の中で前向きに捉える事が出来た事で
≪やるべき事がはっきりした≫といういい意味での吹っ切れた感じがあったのだと思います。
卵子提供という医療技術には本当に感謝です。
実父には、2022年の仕事を辞めるタイミングで不妊治療をしていると話しました。
父は農業をしており、もともと口数は多い方ではありませんがただこれだけ
「時間があればバイトに来て。病院とか体調が悪いとかで休みたい時はもちろん休んでいい。気分転換にもなるだろうしお金も必要だろうから。」
「今回の自己卵子での治療が上手くいかなかったら卵子提供に進もうと思う。」と話した時も
「お金が必要なら言って。」その一言でした。
もちろんよほどの事がない限り、お金を借りるつもりはありませんが、
その気持ちが嬉しくとても頼りになる存在です。
父には金銭面で、母には精神面で、とても支えてもらっているなと心から思います。
父も母もとてもありがたい心強い存在です。
そして遠方で暮らしている義理の母にも伝える為に会いに行きました。
不妊治療している事、卵子提供を考えている事をまとめて話しました。
「私はあなた達夫婦が笑ってたらそれで充分。それでも子どもが欲しいのならもちろん応援するよ。昔から言ってるけど、○○(旦那さん)が鬼なら私は鬼の親になるだけの事だから。ただおかきさん、△△家(旦那実家)の跡取りをとかは一切考えなくていい。ただ自分達の事だけ考えればいいからね。わざわざ会いに来てくれてありがとう。」
本当にあくまで私に寄り添ってくださる理解のあるお義母さんで頭が上がりませんでした。
改めて私は幸せ者です。これ以上の幸せはないのかな?
それでも、この温かい周りの人達に子どもを通じて笑顔を届けたい。
やっぱりそう思ってしまいます。
もちろん子どもが欲しい理由はそれだけではありません。
しかし私の中では私達夫婦の周りの人が喜んでいる顔が見たいというのも
とても大きな理由です。
以前こちらの記事にも書きましたが、
「周りを喜ばせるために子どもを作るのではないでしょ」と言われたことがあります。
そんな事は分かっています。
でもこれも大切な私の本当の気持ち。
私達夫婦の選択を陰で見守ってくれている両親・義両親の子どもだという事を誇りに、
最後まで諦めず投げやりにならずしっかり決断して選択していこうと思います。
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